
江戸時代、宿場に立つ知立神社の御手洗池を泳ぐ鯉や鮒からその名が付いたと言われる東海道五十三次39番目の宿場町。かつては西三河の交通の要として栄え、この地方の特産物である三河木綿の集積地でもあったことから、毎年馬何百頭が集まる大きな馬市が開かれていた。その様子は広重の浮世絵にも描かれており、馬をつなぐために使われていた旧街道沿いの松並木には現在「馬市の碑」が立っている。
またその頃の木綿市の繁栄ぶりはこの地を訪れた松尾芭蕉や小林一茶の句にも詠まれており、当時は多くの旅人や業者などで大変な賑わいだったと伝えられている。


慶長9年(1604)、幕府の命により、日差しや風雪から旅人を守るために街道沿いに整備された松並木。現在も約500mに渡り170本の松が残り、往時の東海道の姿をとどめている。


奈良時代に創立と伝えられる名刹。5月に開花する「かきつばた」の名勝地としても知られる。


在原業平が伊勢物語の中でかきつばたを観賞して松の木の下で句を詠んだと伝えられている。


江戸から数えて83番目の一里塚。街道の両側の塚が今も残る歴史的に貴重な文化財。


かつて知立神社の神主であった永見氏の居館であった城の跡。現在遺構はなく碑が立っている。


かつて松並木で馬市が行われていたことから、東海道松並木には「馬市」の跡を記した碑が立っている。


洪水により根を露出したまま成長したため根が持ち上がっているユニークな様相の黒松。